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東京高等裁判所 昭和57年(う)1115号 判決 1984年11月27日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二〇年に処する。

原審における未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

押収してある散弾銃一丁、散弾実包一八発及び覚せい剤一包を没収する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人鈴木堯博、同上田和孝が連名で提出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書並びに東京高等検察庁検察官検事宮﨑徹郎が提出した検察官検事齋藤吾郎作成名義の控訴趣意書に、弁護人の控訴趣意に対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事宮﨑徹郎が提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

弁護人の控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判示罪となるべき事実第二、第三の各犯行(以下、右論旨に対する判断において「本件犯行」という)の当時、被告人は覚せい剤使用により心神喪失の状態にあったのに、このことを認めなかった原判決の事実認定は、各鑑定の資料となった証拠の証拠価値、ひいては各鑑定結果の証拠価値に対する判断を誤り事実を誤認したもので、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで調査すると、被告人の本件犯行当時における精神状態については、原判決も摘示するとおり二つの鑑定が原審の審理に供された。捜査段階で検察官の嘱託により鑑定した第二駿府病院医師佐野欽一作成の鑑定書(以下「佐野鑑定書」といい、その鑑定を「佐野鑑定」という)の結論の骨子は、「被告人の本件犯行は情動興奮にもとづく激情行為である。心身はかなり疲労していたが、意識のこん濁は認められず、犯行当時、理非を弁別し弁別に従って行為する能力に著しい障害はなかった。覚せい剤、アルコールその他の薬物による影響はなかったものと考える。」というのである。原裁判所の命により鑑定した東京医科歯科大学教授医師中田修作成の鑑定書「以下「中田鑑定書」といい、同医師に対する原審受命裁判官の証人尋問調書を併せてその鑑定を「中田鑑定」という)の結論の骨子は、「被告人は本件犯行当時、覚せい剤中毒による幻覚症の状態にあった。(なお、幻覚症状態は真の中毒性精神状態であり、そのときに行われた犯行については全般的責任無能力を認定すべきである。)」というのである。原判決は、所論のとおり中田鑑定を採用せず、被告人の本件犯行当時の責任能力を肯認し、心神耗弱をも認めなかった。さらに、当裁判所は、弁護人の請求により慶応義塾大学医学部教授医師保崎秀夫に鑑定を命じた。同鑑定人作成の鑑定書(以下「保崎鑑定書」といい、同医師の当公判廷における証人としての供述を併せてその鑑定を「保崎鑑定」という)の結論の骨子は、「被告人の本件犯行当時における精神状態は幻覚・妄想状態であった。その状態は覚せい剤使用にもとづくものと考えられる。(なお、責任能力を問うことは難しいのではないかと考える。)」というのである。

所論にかんがみ、原審記録を調査し、原審で取り調べた証拠に当審で取り調べた証拠を加えて検討し、以下に判断する。なお、各鑑定人は、それぞれの段階で記録を閲覧し、被告人に対する面接、検査を行っているほか、関係人からの事情聴取、資料取寄せ等を行っており、これらの資料により認めた事実に基づいて鑑定しているのであるから、その資料の相違が認識、判断の相違を来たすこともありうるし、また鑑定の前提とする事実が裁判所の認定と異なる場合が生ずることも避け難いと考えられる。当裁判所は、このような点についても留意しつつ、前記各鑑定を判断の資料として使用した。

一  被告人の覚せい剤使用状況

被告人の覚せい剤の使用回数及び使用量について各鑑定の間に認定の相違があり、原判決も一定の判断を示しているので、まずこの点について考察する。被告人は、捜査、原審公判、当審公判の各段階において、覚せい剤の使用回数、使用量についての供述を著しく変遷させている。また、被告人と同棲していたA子の供述も、この点について捜査段階と原審証言以降では同様の変遷を見せており、結局右各供述だけからその実態を知ることは困難であって、他の資料と併せて検討する必要がある。

被告人は、昭和五五年六月二六日現行犯人として逮捕された後しばらくの間、捜査官が取調べをすることができないほどの興奮状態にあったため、また本件犯行当時被告人の乗車していた自動車内から覚せい剤が発見されたことも加わって、取調べの当初から覚せい剤の所持ないし使用の嫌疑をかけられ、捜査官から覚せい剤の影響による凶悪な警察官殺人事件として追及されたことがうかがわれる。そのため被告人が、捜査当時には、覚せい剤とのかかわりを少なくすることが自己に有利であると考えて、覚せい剤の使用回数及び使用量を実際より少なく供述した可能性は否定することができない。特に、被告人の捜査当初の供述には、その使用量を実際より少なく述べようとしたふしがうかがわれる。すなわち、原判示第二を含め自己使用した覚せい剤の回数と量について、被告人は、検察官に対する昭和五五年七月一一日付及び一二日付各供述調書で六月中旬から五回位、一回に耳かき一杯よりやや少なめの量と供述していたが、殺人等の罪による起訴の後の司法警察員(同年一〇月三日付)及び検察官(同月三〇日付)に対する各供述調書では、六月一〇日ころから六回位、一回に耳かき一杯半位(約〇・〇四五グラム)と供述している。なお、佐野鑑定書によれば、被告人は「鑑定を受けるとは思わなかった、頭が狂っているとは思わない」などと精神に異常がないことを強調する言辞を述べたことが認められる。この供述は、主として、体面上覚せい剤中毒者、精神異常者と見られたくないという気持から出たものと思われるが、使用した覚せい剤を少なめにした方が有利だという意識もあったと考えられる。他方、被告人は、同年三月三〇日救急車で搬送され池田病院に入院した際、医師に対し二日間眠らず同日の午前七時ころ覚せい剤を注射して呼吸困難等になった旨告げたことが認められ、中田鑑定書によれば、被告人の左前腕部には頻回の静脈注射によって出来たと考えられる、静脈に沿って線状に二か所文身が薄くなっている部分が認められており、本件犯行の前日半年振り位で被告人に会った友人Dは、被告人の顔色が悪く痩せた印象を持ったことが認められ、そして被告人が逮捕された際所持していた覚せい剤の量は約四・〇五七八グラムであって、A子以外の他人の使用や譲渡しの考えられない本件において、被告人の自己使用分としては決して少ない量ではない。また、A子は、捜査段階では被告人が覚せい剤を使用していたことを知らないと述べていたが、これは被告人のための配慮と、自分自身が覚せい剤使用等の罪に問われることを恐れたことによるものと認められる。同女は原審で証人として、被告人とともに覚せい剤を使用した旨を告白しつつ被告人の覚せい剤使用状況を供述するに至ったが、前記諸事実に徴すると、右原審での供述は、同女と被告人との関係を考慮に入れてもなお信用できるものと認められる。そうすると、被告人の本件犯行前の覚せい剤使用の回数及び量は、被告人が捜査段階で供述する程度のわずかなものであったとは考えられない。しかし、被告人は、前記のように捜査当時は極力少なめに供述しながら、他方原審公判段階で責任能力が問題となると、上申書を提出して一転多数回・多量の覚せい剤を使用した旨の供述を始め、しかも三通の上申書に述べられた使用回数と量が順次増大しており、精神状態についても次第に事実を誇張して行く傾向が見られる。このような被告人の供述の変遷から、被告人には事態に応じた防衛的態度が看取されるのであるから、覚せい剤の使用状況が上申書や原審公判廷での供述のとおりに多数回・多量であると速断することはできない。そして、被告人は心臓病を持病とし、薬を服用して常に自分の身体状況について神経質で、現に同年三月三〇日心臓発作で病院に担ぎ込まれたあと何日かは覚せい剤の使用を中止して、心臓に負担をかけないように配慮していたことを考え併せると、一回の覚せい剤使用量が通常の覚せい剤常用者のそれと比較して極端に多かったとは考えられない。また、被告人は、上申書や原審及び当審の公判廷で、少なくとも同年六月中旬以降は連日のように一日三、四回あるいは六、七回覚せい剤を使用していた旨供述しながら、昭和五六年一月二八日付上申書で、昭和五五年六月二二日未明A子に傷害を負わせたため同女を池田病院から紅谷医院へ転院させて付き添い、同月二四日の午後同医院を逃げ出すまでの三日間に、二三日の昼間注射しただけだと供述し、他の上申書、中田鑑定書、原審公判及び保崎鑑定書においては、いずれも右期間中の覚せい剤使用につき具体的な供述が全くない。もっとも、被告人は当審第九回公判に至り、同年六月二二日から同月二四日の間にも六回位使用したと述べているが、従前の供述と明らかに矛盾し、信用できない。さらに、紅谷病院を逃げ出した後、同月二五、二六日本件犯行を犯し逮捕されるまでの間に、被告人が覚せい剤を使用したのは原判示第二の一回だけで、その量も耳かき一杯半程度であったことが認められる。以上のような検討を加えて被告人及びA子の各供述を総合考察すると、被告人は、同年二月中旬以降、被告人の入院やA子の入院などの一時期数日ないし一〇日間位中断しながら、また心臓に負担をかけないように配慮しつつ覚せい剤を常用してきたもので、一回の使用量としては耳かき一杯半程度であったと認めるのが相当である。その使用回数は、当初は三、四日に一回であったが、次第に頻度を増し、一日おおむね二、三回となり、同年六月上旬中断後再び連日使用したが、同月二二日以降本件犯行に至る間には前記のとおり同月二三日と原判示第二(同月二五日午後五時ころ)との二回位使用したにすぎないと認められる。

二  本件犯行当時の精神状態

各鑑定によれば、被告人の妹は精神分裂病にかかっており、母の弟は精神薄弱であるが、被告人は鑑定時、意識は清明で、見当識、記憶、判断力、知識などに粗大な障害はなく、知能は正常範囲で、幻覚、妄想等の病的体験は存在せず、精神病の所見は全くなかった(但し、佐野鑑定では、当初軽度の拘禁反応も加わって精神的に著しく不安定であったとされている)。被告人の性格面については、佐野鑑定では偏執性抑うつ者、自信欠乏者、爆発者、無力者等の混合した精神病質的傾向が、中田鑑定では意志薄弱性、爆発性、自信欠乏性を主徴とする精神病質の傾向が指摘されている。

そこで、本件犯行当時の被告人の精神状態について問題となるのは、覚せい剤使用の影響の有無であり、特に幻覚、妄想などの異常体験の存否である。佐野鑑定は、覚せい剤の影響も幻覚妄想が存在したことも否定しているものと解されるが、これは被告人が覚せい剤の機会的使用者であることを前提とする判断であると考えられるのであって、その前提が前記のとおり採りえないとすると、佐野鑑定から直ちに幻覚妄想の不存在を結論することはできない。他方、中田鑑定は前記のとおり幻覚症の状態にあった旨鑑定している。右鑑定は、中田鑑定人が一件記録を閲覧するとともに、被告人に一三回面接して詳細に陳述を聴くなどし、被告人の父、母、妹らにも面接したほか、多くの資料を収集して行われたもので、これに一六五日を要し、その鑑定書は一二七頁に及ぶ詳細なものである。この中田鑑定は、被告人が原審公判段階に至り責任能力の存否が争点となり、被告人が覚せい剤を多数回かつ多量に使用しその結果多くの幻覚妄想があった旨の上申書三通を作成提出した後に行われているので、捜査記録はもとより、右各上申書、原審における証人C子、A子、B子、Dの各供述及び被告人の供述などを子細に検討したものと認められるところ、右上申書三通における供述が時間の経過とともに誇張されていること、また被告人の陳述に自己防衛的態度の存在することを肯定しながら、基本的には被告人の同鑑定人に対する陳述及びこれと一致する部分の多い被告人の右上申書や原審公判廷での供述を正確で信用できるものとして、これを鑑定の基礎資料としたものと認められる。しかしながら、右三通の上申書に記載された幻覚妄想の内容程度は、順次甚だしくなり、誇張する傾向が明らかで、しかも被告人が捜査・公判を通じて供述を変転させていることは覚せい剤使用の状況について前述したとおりであり、右変遷も、被告人自身、中田鑑定人に対し、逮捕後現に幻覚妄想に苦しめられながら幻覚のことは警察に言わなかった、佐野鑑定の際にも幻覚妄想の存在を自覚しながらあえて隠していたと述べるように、意図的に行われていることがうかがわれるのみならず、被告人は中田鑑定に際しても鑑定人にできるだけ詳細に聴取してもらいたい欲求を強く示しく実際にも極めて詳細に陳述し、当審での保崎鑑定に際しても鑑定人に何回も手紙を送って幻覚妄想が存在したことを強調する姿勢を見せているのであって、これらの事実からすると、被告人には状況に応じて自己が利益と考える主張や供述をする傾向のあることがうかがわれるのであるから、被告人が右各上申書や原審公判廷で供述し、あるいは鑑定人に対して陳述した幻覚妄想の存在及び内容について、これをそのまま信用し肯定することはできず、これを裏付けるに足りる客観的な証拠に基づいて認定しなければならないのである。

そこで検討すると、被告人は、すでに捜査段階において本件犯行前及び本件犯行時に自己が行った種々の客観的に見て異常な言動を供述しているのであるが、被告人は捜査当時には責任能力の存否が争点となることを意識せず、前記のとおり覚せい剤について少なめに供述し、自己の精神に異常がないとの態度を見せていたことがうかがわれるから、捜査段階における右の異常な言動についての供述は十分信用することができる。そして、被告人の主として捜査段階での供述のほか、《証拠省略》によれば、被告人の異常な言動ないし精神状態として、以下の諸事実は認めることができる。

(一)  被告人は、昭和五五年三月中旬伊豆長岡町のQマンションにA子と同棲後間もなく、舎弟分であるEとA子との関係を深く疑って、A子に暴行するようになり、同年四月四日A子に買ってやった洋服を引き裂くなどのことがあり、Eに対しても強く詰問した。その結果同月中旬、十数年間行動をともにしてきたEが姿をくらました。

(二)  被告人は、そのころ、誰もいないのに「今、横をおばあさんが通った」「風呂場の方に人がいる」などと口走ったり、居室の玄関を施錠し、チェーンを針金で固定した上にロープで縛りつけたりし、また同年三月三〇日救急車で長泉町の池田病院に搬送された際には「死神が来た、お墓が見える」などと口走った。

(三)  同年六月五日ころからA子の入院に付き添って池田病院で寝泊りしたときにも、「誰か来た」「警察が病院の周りを包囲してバリケードを作っている」などと口走って窓をシーツや毛布で隠し、病室の扉を椅子とテーブルを置いて開かないようにし、義弟のFが訪れたとき「警察を連れて来た」などと言ったり、A子に「警察やEに包囲されているので死ぬかも知れない」などと言ったりした。

(四)  同月二二日午前二時三〇分ころ、池田病院で就寝中足音が聞こえたため廊下に出た際、A子のライターと煙草が置いてあったことから、同女とEが密会していたと思い込んで、同女の顔面を手拳で殴打し、さらにEを捜すためA子を自動車に同乗させてQハイツの被告人方へ向かう途中、車内において散弾銃で同女の身体を突くなどして同女の右腕・右大腿・脇腹などに出血を伴う大怪我をさせ、被告人方でEを捜す間も、同女を自動車のトランク内に閉じ込め、Eがいないことを確認すると、同女に「痛かった、ごめんね」と謝り、池田病院の玄関にいた男を警察官だと言って同病院には帰らなかった。

(五)  同日の晩A子を東京都江戸川区内の紅谷医院に連れて行き入院させたが、同院でも、病室のドアのノブとベッドの足をロープで結ぶなどしたほか、A子を呼ぶ男の声や口笛の音が聞こえたと訴え、GことHの妻がEからの連絡の手紙をA子に渡したと疑い、さらに朝方灰皿の中にEの愛用の煙草の吸殻を見てEが来たと疑ったあげく、同月二四日、A子がレントゲン室から戻るのが遅かったことから、A子が傷害事件を両親や警察に通報したと考えて一人逃走し、横浜市内をぶらつき同夜は野宿した。

(六)  翌六月二五日、Dとともに埼玉県戸田市から新小岩を経て修善寺町に帰る途中、洋品店でずぼんを求め、その直しを頼んでそば屋で昼食したが、その直しが遅いのを「お巡りに電話したんじゃないか」と言って怒り、ずぼんを受け取らないで、また警察が追跡していると言って立ち去った。

(七)  以下は本件犯行当時の言動になるが、被告人は、同日午後五時ころ原判示第二のとおり覚せい剤を使用した後、午後八時三〇分ころ、大仁町の「あまぎ寿し」でいあわせたアベック客の男を警察官と思い込んだり、中伊豆町の「寿し一」でも店主の妻に「お前さっきの客にサツに連絡するような手紙を渡したか」と言って疑った。

(八)  翌二六日明け方近く、同町の大見川河原で一時間ほど眠った際、Dが何か被告人のことを言ったように聞こえたり、その後B子の勤めるR醸造へ向かう途中、タクシーが警察の車に見えたりした。

(九)  同日昼ころ、大仁町のJ理容所でA子あてに同女とEに関係があったことを前提として「許してあげます。Eをうらみます」との文言を含む手紙を書き、車内に戻った際、原判示第三の(一)のとおり、同店のKが被告人の車の中に首を突っ込み車内をのぞき込んだのを、同人が被告人の様子を探りに来たと疑って「警察に電話したんだろう」と怒鳴り、その後同人が店内の電話機の前に坐っているのを見て、「今電話したな、今に来る、来ればわかる、お母ちゃんだってわかっているだろう、変なことをすると後家になるぞ」、と怒号しながら、同人やその妻に散弾銃をつきつけた。

(一〇)  その後A子の妹B子を車内に監禁して運転中、他の走行車両を警察の車と思って、銃を窓から出しては構えるなどの動作を繰り返した。さらに修善寺シェル給油所で、給油を申し込んだのに、すぐに警察官が来るという不安にかられて「スペアーキーがないからだめだ」と給油を断り立ち去った。

(一一)  修善寺町の伊豆赤十字病院で、心臓の薬を待つ間、EとA子とに肉体関係ができたものと信じて「その前夜二時半頃Eと通じあった事実が判明し」とB子に口述し筆記させたり、同病院の係員の持って来た薬がいつもと違うところから時間稼ぎをしていると疑って怒ったりした。

(一二)  原判示第三の(三)のとおり中伊豆町の杉山ガソリンスタンドで、同店従業員斉藤克彦が足止めのため鞄を返還しないものと疑って、散弾銃を一発発射した。

(一三)  無免許運転(原判示第三の(四))をして逃走中、追跡するパトカーに向け散弾銃を発射(同(五))し、さらに追跡するパトカーの上方への発砲を続けるなどした。

(一四)  天城湯ヶ島町のスナック「踊り子」前で、大仁警察署刑事課長警部山下啓一の説得にも警察はだまして捕まえるつもりだと疑って応ぜず、また料理店「ささの」の前の道路脇の植込みに警察官が隠れていると思い「あそこから狙われている、木の茂みから狙っている」などと言ったり、油断すると撃たれると考え、その間しばしば死ぬことを口にした。

(一五)  同町小森正人方自動車修理工場前、嵯峨沢温泉入口の大川むら方前で、山下刑事課長らの説得を前後約四時間にわたって断続的に受けながらこれに応じないまま、同日午後一〇時ころ、さきに伊豆赤十字病院で受け取った綻剤のうち二綻はいつもの薬と違っているとして飲まず、他の二綻を服用したところ、突然吐き気を感じ心臓が苦しくなり、目まいや冷汗が出て吐いたことから(薬に毒など入っていないのに)「あ、この薬は違うわ、青酸カリをお巡りが看護婦にすり替えさせたな」と口走ったうえ、Dに「お前が毒を入れたんだろう」と怒鳴って同人の顔面を殴打し、胃に入った毒を吐き出すと言って警察官に要求してB子が受け取った水を「毒が入っているからよせ」と外に投げ捨て、警察が毒を入れたと疑って山下刑事課長を呼んでこれを問い質したところ、同人が笑みを浮かべながら応答したのに対して、「俺が捕まると思って笑っている」と怒鳴って散弾銃を同人に向けて発射した(原判示第三の(六))。

(一六)  さらに被告人は、本件犯行後においても、検察官送致のため検察庁へ行く車中で、Dに対し「お前本当に薬替えなかったんだろうな」と疑って尋ねた。

(一七)  また、佐野医師の鑑定に際して、「警察が酌んで来てくれた水も事件のときと同じ色で同じ匂いがした、自分の吐いた物の中に毒物が混っていなかったかどうか調べてもらいたい」などと述べて服用した薬に毒が入っていたと疑い、「警察にいたら毒を盛られて殺されてしまう」と言って不安にかられていた。

以上の事実に基づき、関係証拠を併せ、各鑑定を参酌して考察すると、被告人には、本件犯行の前から幻視、幻聴、妄想が現われていたこと、被告人は、EとA子との関係を疑う嫉妬妄想を強く抱き、当時Fを介してA子を投票日の六月二二日に帰宅させ、そのうえで同女の両親と正式に結婚の話をする段取りになっていたのに、右妄想のためその直前にA子に常軌を逸した暴行傷害を加えて、自らを苦境に追いやったこと、右傷害事件を警察に通報されるのを極度に恐れて東京の紅谷医院に移った後も、警察に追われるという追跡妄想を抱いてA子を一人残して逃げ出すなど、被告人の行動には自己の願望や利益と必ずしも一致しない不合理・非常識な行動が見られ、その間EとA子との間に愛情及び肉体の関係が出来たものと真実信じ込み、Eに対する恨みを高ぶらせたこと、本件犯行当時にも、EやA子を探し求めて車で走り回るうち、警察からの追跡妄想が強まり、他人の態度をすぐに警察に通報したものと疑い、Kらに対し散弾銃を突きつけて脅し、ガソリンスタンドで散弾銃を発射するなどのかえって警察の追跡を招くような行為に及んだこと、現実に警察に追われるようになってからは、しばしば死ぬことを口にする一方、あくまでも逃げ回り、警察官が隠れている、狙っている、殺されるという強い被害妄想を抱き、心臓病の薬を服用した直後吐き気を催したことから、警察が毒を入れたという被害妄想を抱いて激昂した末、遂には山下刑事課長が被告人の緊張を和らげるため笑みを浮かべたのを自分が捕まると思って笑っていると受け取って散弾銃を発射し殺害に及んだこと、また本件犯行後も、服用した薬に毒が入っていたという被害妄想を抱き続け、警察に毒殺される恐怖におののくなどの異常な言動を続けたこと、他面、その間A子を傷害した後EがQハイツにいないことを確認するや、A子に詫びて怪我の手当に努め、あるいは山下刑事課長らの説得に対して、これに応ずる気配を見せたり、再び警戒心を強めて拒絶したり、雨の中で説得する山下刑事課長に「偉い人を濡れさせるのは悪いです」と言ってタオルを投げ渡すなど、被告人の言動は激しく揺れ動いていたことが認められる。右の事実に被告人が前記のとおり本件犯行の約四か月前から覚せい剤を常用して来たことを考え併せると、本件犯行当時の被告人の精神状態を単なる情動興奮状態と考えることはできず、被告人は、その当時覚せい剤使用の影響により、嫉妬妄想を中心とし、追跡妄想、被害妄想、被毒妄想の加わった妄想に若干幻覚(幻視、幻聴など)を伴う異常体験の現れた異常な精神状態にあったものと認められる。しかし、各鑑定によると、被告人は本件犯行当時意識障害はほとんどなく、記憶もごく一部を除いてよく保たれていたことが認められる。

三  責任能力

覚せい剤中毒による幻覚妄想状態にある者の責任能力について、司法精神医学者の間には、右幻覚妄想が精神分裂病による幻覚妄想と病態の類似するところから、これを人格全体が核心から障害され、全人格が病的変化の力に支配される精神分裂病の場合と同列に扱い、原則的に責任能力はないと考える立場と、これと異なり覚せい剤中毒の場合には、人格の核心が冒されることがないため、全人格が病的変化の力に支配されず、対人接触や疏通性もよく保たれ、幻覚妄想があってもそれに対応すべき意志・理性・感情などの人格的能力が残存するから、幻覚妄想に動機づけられた犯行を直ちにこれに支配された犯行として責任能力を否定するのは正当でないとする立場とがある。そして、中田鑑定はもとより、保崎鑑定も前者の立場を採っているものと解される。

このように、右両鑑定の基礎とする見解と対立する見解も存することを考慮に入れて、前認定の事実その他証拠上認められる事実に基づいて考察すると、被告人は前記のとおり覚せい剤を常用していた者で、慢性中毒の状態にあったと思われるが、昭和五五年六月二二日以降は二三日の昼間及び原判示第二の二五日午後五時ころ覚せい剤を使用したにすぎず、右二五日の使用量も〇・〇四五グラム程度であったから、本件犯行は覚せい剤を使用した直後のものではない。そして、被告人は、持病の心臓病に対する配慮もあって、前記のとおり覚せい剤の使用を中断したり、その量も加減するなどしており、このこととA子、B子の供述などから認められる被告人の日常生活における生活態度や能力には本件犯行前格別の変化ないし低下がなかったこと及び他人との意思疏通にも欠けるところがなかったことからすると、被告人は、A子と同棲して以来妄想幻覚及びその影響による異常行動もあったが、常時妄想幻覚にとらわれていたのではなく、通常の日常生活におけるそのような覚せい剤の影響は必ずしも強くはなかったと認められる。A子に傷害を負わせたことや紅谷医院から一人逃げ出したことは嫉妬妄想や追跡妄想に触発されたものと認められるけれども、右行動によりA子が両親に連れ戻される結果となった後、被告人が一刻も早くA子に会い、同女の両親の宥恕を得なければならないと考えて、両親宅やFに繰り返し電話して、A子に怪我をさせたことや入院費の支払いについて謝罪し、あるいは両親との仲介斡旋を依頼するなどの被告人の本件犯行時の行動は十分理にかなったもので、社会常識を備えていることを示すものであり、右謝罪や仲介を拒絶されて方途を閉ざされた被告人が、自分に好意的だったB子からA子の所在を聞き出そうとして同女を車に監禁した経緯も十分に了解可能である。

次に個々の犯行についてみると、本件犯行のうち、覚せい剤の自己使用(原判示第二)、B子に対する監禁(原判示第三の(二))、無免許運転(同(四))、大仁警察署巡査二名に対する各公務執行妨害(同(五))、散弾銃一丁と散弾銃用実包一八発の所持(同(七))、覚せい剤の所持(同(八))の各所為は、いずれも妄想幻覚が直接の動機となったものでも、また誘因となったものとも認められないから、その関与は薄いものといえる。そして、B子の監禁や散弾銃の所持・発砲は、被告人が逮捕を免れる手段として、また「Eを連れて来い」などとの要求を貫く手段として、合目的的に利用していることが認められる。また、K、L子及び斉藤克彦に対する各示凶器脅迫の行為(原判示第三の(一)及び(三))は、いずれも警察に追われているという追跡妄想に基づいていることが認められるけれども、被告人は、Kに対しては一旦は同人及び同人の妻L子の弁解を聞き入れて同人を解放し、あるいは警察官の来ないことを確認するだけの思慮があったのであり、また斉藤克彦の場合にも散弾銃を上方建物に向けて発砲するなど、周囲の状況に対応しあるいはこれを配慮した行動をしているのであって、なお自我機能が維持されていたと認められる。そして山下刑事課長に対する殺人・公務執行妨害の行為(原判示第三の(六))については、被害妄想、被毒妄想などの異常体験がその基底にあったことは否定できないが、それは前記(一四)、(一五)に認定した程度においてであって、被告人が原審及び当審公判廷や各上申書で供述するところをそのまま信用することができないことはすでに述べたとおりである。右犯行前、被告人が警察官の説得を受けた際、銃口を向けられていると思ったり、発砲されることを極端に恐れたことは異常といえるが、「警察官は自分をだまして逮捕しようとしている」と考えたのは誤った判断だとはいえないし、警察官が薬に毒を混入したと思い込んで怒ったのも、異常ではあるが理解できないことではない。しかも、山下刑事課長射殺の犯行は、妄想幻覚が直接の動機とはなっておらず、同課長が笑みを浮かべたのに憤激したことが動機になっているのであって、爆発的性格の現れと思われるが、なお自我による意志決定が存在したと認められる。加えて、以上の犯行を通じ、被告人は意識障害がほとんどなく、地理的感覚も失われておらず、自動車運転の能力もあり、被告人なりに周囲の事態に対処する行動をとっていることが認められる。

のみならず、被告人が本件犯行当時、前記のように電話でA子の両親に謝罪し、あるいはその仲介を依頼したこと、A子に届けるつもりで書いた手紙やB子に口述して筆記させたメモにも、怪我をさせて申しわけなかったとか、両親が怒るのも無理がないと反省しているとか述べていること、Dに対し「お前は関係ないから警察にもしっかり言えよ」などと、自己の行為の性質を理解しDに対する配慮を示した言動をしたこと、原判決が説示するように散弾銃をDにさとられないよう林の中から持ち出したように見せかけたり、恥をさらさないようにコンドームを川に捨てたこと、山下刑事課長に雨に濡れさせるのは悪いと言ってタオルを投げ渡し、同課長らの説得に対し筋道の通った応答をしていること、同刑事課長に発砲した直後「B子ちゃん、一緒に死んでくれ」と叫ぶなど自己の行為の重大さを認識した言動をしたことなども認められるのである。

以上の事実を総合して考察すると、本件犯行を通じ、被告人は前記のとおり妄想や幻覚の現れた異常な精神状態にあったが、なお被告人は、自己の行為の意味やその反規範性を認識する能力、他人に対する配慮をし、事態に応じ自己の意思により行為する能力をある程度保持していたと認められ、被告人の人格が妄想や幻覚に完全に支配されていたとは認められない。そして被告人は、前記のとおり精神病質の傾向があり、疑り深く物事に拘泥したり一方的に邪推しやすく、自信に欠け敏感で傷つきやすく被害妄想を持ちやすい、しかも些細なことで激昂し暴力行為に及びやすいなどの性格の持主であることがうかがわれるのであるから、本件犯行は、六月二二日以来のめまぐるしい行動による心身の疲労のもとで生じたこのような被告人の本来の性格の現れとして理解できる面も多いように思われ、妄想幻覚に支配された平素とは全く異なる錯乱状態における行動とは認められないのである。したがって、被告人は、本件犯行当時、是非を弁別する能力及びこれに従って行動する能力をいまだ失ってはいなかったものと認められる。とはいえ、被告人は前記のとおりその当時覚せい剤使用の影響により異常な精神状態に陥っており、妄想幻覚に影響された異常な行動も多かったのであるから、本件犯行当時、被告人は是非を弁別する能力及びこれに従って行動する能力が著しく減弱した心神耗弱の状態にあったものと認めるのが相当である。

したがって、原判決が原判示第二、第三の各罪につき被告人が心神耗弱の状態にあったことを認めなかったのは事実を誤認したものといわなければならず、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。そして、原判決は、右各罪と原判示第一の各罪とを併合罪として一個の懲役刑で処断しているのであるから、全部破棄を免れず、弁護人の控訴趣意中量刑不当の主張については判断するまでもない。論旨は右の限度で理由がある。

次に検察官の控訴趣意は、要するに、原判決の事実認定を前提とし、原判決の量刑は著しく軽きに失して不当であるというのであるが、すでに当裁判所が弁護人の事実誤認の主張を前記の限度で理由があると認め、原判決を破棄すべきものとする以上、検察官の論旨は判断するに適しないことになるから、これに対する判断はここで示さないことにする。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに判決する。

(当裁判所の認定した罪となるべき事実)

原判決の罪となるべき事実全部、すなわちその第一の(一)、(二)、第二及び第三の(一)ないし(八)と同一である(但し、第二の冒頭に「法定の除外事由がないのに」と付加する)からこれを引用し、その末尾に次の一項を加える。

被告人は、右第二及び第三の(一)ないし(八)の各犯行当時、覚せい剤使用の影響により心神耗弱の状態にあったものである。

(証拠の標目)《省略》

(累犯となる前科)

原判決の累犯前科の項の記載と同一であるから、これを引用する。

(法令の適用)

当裁判所が認定した被告人の判示第一の(一)、(二)及び同第三の(四)の各所為はいずれも道路交通法一一八条一項一号、六四条に、同第二の所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に、同第三の(一)の各所為及び同(三)の所為はいずれも暴力行為等処罰に関する法律一条、刑法二二二条一項、罰金等臨時措置法三条一項二号に、同第三の(二)の所為は刑法二二〇条一項後段に、同第三の(五)の各所為及び同(六)の所為中公務執行妨害の点はいずれも同法九五条一項に、同第三の(六)の所為中殺人の点は同法一九九条に、同第三の(七)の所為中散弾銃を所持した点は銃砲刀剣類所持等取締法三一条の三第一号、三条一項に、同じく散弾実包を所持した点は火薬類取締法五九条二号、二一条に、同第三の(八)の所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項一号、一四条一項にそれぞれ該当するところ、同第三の(一)の各罪、同第三の(五)の各罪、同第三の(六)の殺人の罪と公務執行妨害の罪、並びに同第三の(七)の散弾銃所持の罪と散弾実包所持の罪は、それぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、同第三の(一)、(五)、(六)、(七)ごとに一罪として、同第三の(一)、(五)についてはそれぞれ犯情の重いK、宮丸昭則に対する罪、同第三の(六)については重い殺人の罪、同第三の(七)については重い散弾銃所持の罪の刑にそれぞれ従い、同第一の(一)及び(二)、同第三の(一)、(三)、(四)、(五)及び(七)の各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を、同第三の(六)の罪につき所定刑中無期懲役刑をそれぞれ選択し、被告人には前記累犯となる各前科があるので、同法五九条、五六条一項、五七条により、同第一の(一)、(二)、第二、第三の(一)ないし(五)、(七)及び(八)の各罪の刑にそれぞれ三犯の加重をし、同第二、第三の(一)ないし(八)は心神耗弱者の行為であるから、同法三九条二項、六八条二号、三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い同第三の(六)の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし(なお、同法四六条二項は「其一罪ニ付キ無期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス可キトキ亦他ノ刑ヲ科セス」と定めたが、右は刑の加減の順序(同法七二条)に従い、必要とする再犯加重、法律上の減軽を施したうえ、無期刑に処すべき罪がある場合の併合罪処理について規定したものと解される)、その刑期の範囲内で被告人を懲役二〇年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入し、押収してある散弾銃一丁は同第三の(七)の散弾銃所持の、散弾実包合計一八発は同第三の(七)の散弾実包所持の各犯罪行為を組成した物で犯人たる被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号、二項本文により、また、覚せい剤一包は同第三の(八)の犯罪行為に係る覚せい剤で犯人たる被告人が所有するものであるから、覚せい剤取締法四一条の六本文によりこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、原判決も詳細に判示するとおり、被告人が散弾銃を携帯し、知り合いの理髪店の店主K及びその妻を脅迫し、愛人A子の妹B子を自動車内に監禁し、長時間にわたり警察の追跡を逃れて自動車を乗り回す間に、散弾銃の発砲を繰り返し、ガソリンスタンド従業員斉藤克彦を脅迫したり、警察官二名の乗務するパトカーに向かって発砲したりしたあげく、ついには被告人の説得にあたっていた山下刑事課長に対し散弾銃を発射して同人を殺害した一連の凶悪な犯行を中心とし、これに散弾銃及び実包の不法所持、覚せい剤の使用及び所持並びに三回にわたる無免許運転の付随する事案であるが、右一連の凶行は、日頃は静かな温泉町を深刻な不安に陥れ、ことに最後には治安の維持にあたる警察官が射殺されるに及んで大きな衝撃をひき起こし、社会にも多大の影響を及ぼした重大な犯罪である。

これら一連の犯行の経緯、動機は揺れ動いているが、被告人は、A子と知り合ってから急速に親しくなり、被告人に妻子があり、暴力団組員で粗暴癖があることなどからA子の両親が同女の被告人との交際に反対していたのに、家出して来たA子と同棲し、同女との結婚を望んでいたところ、同女と自己の舎弟分であるEとの関係を疑い、激しく嫉妬して妄想を抱き、同女に暴行を加えて負傷させたことから、警察に発覚することを恐れ、池田病院に入院中の同女を東京の病院に移したが、同女が両親に連れ戻されたので、右両親の宥恕を得ようと考え、またA子を捜して再会しようと伊豆に戻ったが、このような事態に立ち至った原因がEや兄貴分であったMにあると恨みを募らせ、これを晴らそうと決意するとともに、A子の所在を突きとめようとしたもので、このことが各犯行の原因ないし背景となっているのであるが、A子の両親がA子を連れ戻したのは、被告人の身勝手で不行跡な生活態度や理不尽な暴行に起因するものといわなければならないし、Eに対する嫉妬やMに対する恨みは何ら理由のないものであった。

各犯行の動機、態様、結果を概観すると、K夫婦に対する示凶器脅迫は、警察に追われているという妄想からKが警察に通報したものと思い込んで、同人らに散弾銃を突きつけながら怒号し、今にも発射しかねない態度を示して脅迫し、なんら理由もないのに同人らに土下座して命乞いをさせるほどの恐怖心を抱かせたものであり、B子に対する監禁は、A子の所在を聞き出すためB子を呼び出したうえ、同行を拒否する同女に散弾銃を示して乗車させ、その後もたびたび散弾銃を突きつけて車内に閉じ込め、警察官の追跡を受けながら同女を人質にして約八時間四〇分にわたり車内に監禁したうえ、最後には同女の目の前で警察官を射殺した直後、「一緒に死んでくれ」と申し向けて同女に銃口を向けようとするなどし、同女を自らも殺害されるとの恐怖に陥れたもので、同女がその間に被った精神的肉体的苦痛は甚だ大きいものがあり、斉藤に対する示凶器脅迫も、同人が警察に通報したものと邪推して憤激し、怒号し、同人が散弾銃に驚いてダンプカーの陰に逃げ込むや、付近建物に向け散弾銃を発射して同人に身のすくむ思いをさせたものであり、また警察官二名に対する公務執行妨害は、逃走中追跡してきて停車したパトカーに向けて散弾銃を発射し、パトカー前部や警察官宮丸昭則着用のヘルメットに多数の散弾を命中させて同人らの職務執行を妨害するとともに、付近にいた通行人にも被弾させるなどしたもので、以上いずれも人命を軽視した極めて危険な犯行であり、被害者らにはなんらの落度もないのである。そして山下刑事課長に対する殺人・公務執行妨害は、警察官から追跡を受け、人質を楯にして逃走を続けたが進行を阻止され、その間山下刑事課長らから再三かつ長時間にわたり、人質を解放し、銃を捨てて車から降りるように条理を尽くした説得を受けながらも結局これを拒否し、その際心臓の薬を飲んで吐き気を催したことから警察が薬に毒を入れたものと妄想を抱き、山下刑事課長を呼びつけ、同人が被告人の緊張を和らげるため笑みを浮かべながら応答するのを曲解して憤激し、同人が銃口を向けるなと制止するのもきかず、二メートル余の至近距離から同人の胸部を狙っていきなり散弾銃を発射し、その胸部に多数の散弾を浴びせて殺害したもので、山下刑事課長は人命の保護、犯罪の阻止のため熱心に説得活動を続けて職務遂行中、被告人を刺激しないよう無防備で被告人の車に近づいたところを避けるいとまもなく狙い撃ちされたのであって、その犯行は法秩序を全く無視したものであり、被告人に被毒妄想があったにせよ、その行為は極めて凶暴、残虐かつ非道というほかはない。同刑事課長は、昭和二二年以来三〇年余にわたり警察官として職務に精励し、同五四年から大仁警察署刑事課長の要職に就き、地域の治安を維持する第一線の責任者として職務に専念し、部下の信望も厚かったもので、二、三年後に定年が来るところから一層職務に励み、定年後の平穏な生活を楽しみにしていたのであって、本件当日も強い責任感から身の危険をも顧みず、長時間誠実かつ温和な態度で、辛棒強く条理を尽して被告人の説得に努めたのである。非業の死を遂げた同人の無念さはもとより、一家の支柱を失った妻子の悲嘆や憤りは察するに余りあり、特に同人の妻の悲しみと心痛は深く、なんら慰藉の方法が講じられていない状態のもとで、遺族の被害感情は現在に至るも全くいやされていないことを考えると、被告人の刑責は極めて重大というべきである。以上のほか、被告人は、不法に散弾銃及び実包を所持し、覚せい剤を使用し所持し、またかねてから普通乗用自動車を所有して無免許運転を累行したもので、いずれも法を無視する態度を顕著に示す犯行であり、前記一連の犯行とも密接に関連する犯情悪質なものである。

以上のような犯罪の情状に加え、本件一連の犯行自体からうかがわれる被告人の自己中心的で粗暴な反社会的性格、少年のころから暴力団に出入りし、その後暴力団の組員となって本件に至った生活態度、その間少年時代からの多数の前科前歴があって、傷害罪等の暴力事犯により五回にわたって懲役刑に処せられながら矯正の効果なく、ついには覚せい剤に親しみ、本件の警察官殺害を含む凶悪な犯行に及んだ被告人の経歴、犯罪的傾向などを考慮に入れると、被告人のA子に対する愛情と執着が本件の根本原因になっていること、被告人が本件について反省し、山下刑事課長の冥福を祈り、謝罪の意を表していることなどの事情を被告人のためできる限り斟酌しても、被告人の刑責はあまりにも重大であって、犯行当時の精神状態が心神耗弱の域に達していなかったならば、無期懲役刑を相当とするところである。しかしながら、被告人は、前記認定のとおり、判示第二、第三の(一)ないし(八)の犯行当時心神耗弱の状態にあったので、法律上の減軽を必要とするから、前記のとおり法令を適用したうえ、被告人を懲役二〇年に処するのが相当であると認めた。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野慶二 裁判官 香城敏麿 長島孝太郎)

<以下省略>

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